スクリプト公開|小津安二郎弦楽トリビュートライブコンサート

小津安二郎弦楽トリビュートライブコンサート(2015年10月24日~10月25日)
小津安二郎の映画音楽に関する知られざるエピソード~「斎藤高順回想録」より

小津監督との出会い

1952年(昭和27年)夏のことです。
私は松竹大船撮影所に呼ばれました。
私の目の前にいる岩のように大きな人物こそ、当時の映画関係者の間では神様のような存在と言われていた小津安二郎監督、その人でした。
当時、松竹大船撮影所で音楽部門を仕切っていた吉澤博さんの推薦で、私は初めて小津監督とお会いすることになったのです。
大変厳しい監督であるという噂は私の耳にも届いておりましたので、夢のように思う反面、恐ろしさで身も縮むような複雑な気持ちでした。

緊張のあまり口もきけずに頭を下げていると、小津監督は開口一番「今までにどんな映画音楽を作曲しましたか?」と言われました。
私は「まだ一度もやったことがありません。先生のお仕事が初めてです。」と答えました。
すると、一瞬驚いたような表情を見せましたが、すぐにニコニコ笑いながら「そいつはいいや。」とおっしゃいました。
これが、小津監督と交わした最初の会話でした。
この日から約10年間、小津監督が亡くなるまで、一緒にお仕事をさせていただくことになったのです。
(斎藤高順談)

小津監督が好んだ「お天気のいい音楽」とは

「音楽についてはぼくはやかましいことはいわない。
画調をこわさない、画面からはみださない奇麗な音ならいい。
ただ場面が悲劇だからと悲しいメロディ、喜劇だからとて滑けいな曲、という選曲はイヤだ。
音楽で二重にどぎつくなる。
悲しい場面でも時に明るい曲が流れることで、却って悲劇感を増すことも考えられる。」
出典:『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』

「お天気のいい音楽」の象徴が「サセレシア」です。
「サセレシア」というタイトルはどこから来たのか。
「小津監督から、サ・セ・パリやヴァレンシアのような歯切れのよい音楽を頼むよ…。と言われて作った曲に監督自身が命名しましたが、意味は不明です。」
(斎藤談)

「サセレシア」=「サ・セ・パリ」+「ヴァレンシア」
造語? 駄洒落?

「サセレシア」パクリ疑惑?

小津監督は「サ・セ・パリ」や「ヴァバレンシア」が大変お好きだということを聞いていたので、両方の曲を調べたところ、まず8分の6拍子で要所要所に共通する音が使われていることを発見しました。
そこで、とにかく拍子は8分の6とし、共通する音を楽譜に記載して、それを軸に自由に作曲したところ、「サ・セ・パリ」にも「ヴァレンシア」にも似たようであり、でも少し違うような面白い曲が完成しました。
(斎藤談)

深刻なシーンに陽気なBGM
「いくら、画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、その時、空は青空で陽が燦々と照り輝いていることもあるでしょう。
これと同じで、ぼくの映画のための音楽は、何が起ころうといつもお天気のいい音楽であって欲しいのです。」
(小津談)

斎藤高順が導き出した答
小津監督は、「サセレシア」や「ポルカ」調の音楽を付けると「なかなかいいねぇ~」と言ってご機嫌でした。
(斎藤談)

しかし、「お天気のいい音楽」は、これだけではなかった。
実は、「お天気のいい音楽」はまだ完成していなかったのです。
「お天気のいい音楽」に隠された秘密を、後半のパートでご説明します。

「秋刀魚の味」のポルカには歌詞が付くはずだった?

小津監督は「サセレシア」がとてもお気に入りでした。
その後の映画も「サセレシア」で行こうと言われましたが、さすがに私の方が閉口して、小津監督が「ビヤ樽ポルカ」もお好きと聞いたので、ポルカ風の曲を作曲し使用させていただきました。
そしてこれも気に入られ、それ以後は色々なポルカを作曲しました。
(斎藤談)

「秋刀魚の味」のポルカのヒントになった曲
チェコの作曲家:ヤロミール・ヴェイヴォダ
1930年前後に作曲、第二次世界大戦後に世界中でヒット「ビヤ樽ポルカ」

最後の作品になるとは思いませんでしたが、「秋刀魚の味」の時にも「サセレシア」を使いたいとおっしゃるので、「違う曲を書きます。気に入らなければ書き直しますから。」と言って書いたのが、あの映画で使ったポルカです。
これも気に入ってくれて、「次回作もこれでいこう。」と言ってくれたのですが…。
「ぼくが詞を付けるから、宝塚の寿美花代あたりに歌わせてレコーディングしよう。」なんておっしゃっていました。
残念ながら、実現することはありませんでしたが。
(斎藤談)

次回作「大根と人参」に挿入歌?

主な配役、設定、ストーリーなど、小津監督と野田高梧の間では詳細な話し合いが進められていた。
音楽は斎藤高順、挿入歌として「秋刀魚の味」のポルカに小津監督自身が歌詞を書いて、宝塚の寿美花代に歌わせるというプランがあった。
小津監督は「小早川家の秋」の撮影のため、1961年(昭和36年)5月24日から10月3日まで、宝塚撮影所近くの宿に滞在した。
撮影の合間に何度も宝塚の舞台へ通い、宝塚歌劇団の娘たちともすっかり仲良くなり、彼女たちも小津が滞在する宿を度々訪れた。
その中のひとりが寿美花代だった。

小津監督は、「秋刀魚の味」のポルカに一体どのような歌詞を付けるつもりだったのか?
そのヒントは、「大根と人参」のストーリーの中にあった。
旧制高校以来の親友二人の家族を中心に描いた物語だが、同窓生のひとりが癌に冒され、治療の甲斐もなく息を引き取る。
この最も哀しいシーンで、「秋刀魚の味」のポルカに小津監督が歌詞を付け、寿美花代の歌による挿入歌が流れるはずだったのではないか。
つまり、この歌は死にゆく友へのレクイエム(鎮魂歌)であった可能性がある。

「私の映画は、物のあはれということだ。」
(小津談)

「お天気のいい音楽」は、癌で死んでいく友人へ贈る小津監督のメッセージが込められて、はじめて完成するはずだった。
しかし、皮肉にも監督自身が末期の癌に冒されてしまい、このレクイエムはとうとう完成することはなく、小津監督はこの世を去った。

歌詞のお手本はフォスターか?

「一人息子」や「東京物語」にも使われた、小津監督が敬愛するフォスターの代表作は、死者を弔う唄だった。
『オールド・ブラック・ジョー』『主人は冷たい土の中に』
作詞・作曲:スティーブン・フォスター

若く楽しい日は去り、
友もみな世を去って、
あの世に、静かに眠り、
やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー
今に行くよ、老いたるわれを、
やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー
心も痛まず、なぜに泣く?
友が去り、なぜため息をつく?
とっくに亡くなった友を、嘆きながら。
やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー
今に行くよ、老いたるわれを、
やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー
訳詞:三宅忠明

「東京物語」の隠れた名曲誕生秘話~画面から聞こえない音楽

作曲家は、映画音楽の録音日の1週間から10日くらい前までにスコアを完成させておき、それを小津監督の前で一旦演奏披露するのです。
これが御前演奏会と言われ、小津監督は作曲家に御前演奏をさせる特権を、松竹大船撮影所でただ一人持っていました。
もしそこで監督が気に入らなければ、作曲家は録音当日までに書き直しを命じられるのです。

ついに「東京物語」の御前演奏会の当日となりました。
スタッフ連中は、極度の緊張状態にあったことはいうまでもありません。
トップタイトルの音楽が終わっても小津監督は一言もおっしゃいません。
それから次々と吉澤さんの指揮で曲が演奏され、とうとうラストシーンの音楽も終わりました。

恐る恐る監督の方に顔を向けると、一言「今度の音楽はなかなか良いね。」と言われたのです。
続けて監督は、「いいね、音楽みんないいからね、この通りでやってください。」と褒めてくれましてNGはひとつもなし。
スタッフの人たちがみんな喜んじゃいましてね、今までにないことだそうです。
フィーリングが合ったのでしょうか。
もう嬉しくて、録音の日まで家で酒を飲んで寝てました。

ところがダビングの時点で、ひとつの問題が生じたのです。
それは、東山千栄子さんが戦死した次男の嫁、原節子さんのアパートを訪れるシーンの音楽をめぐって起きたのです。
私はこのシーンを映画全体のひとつのヤマ場と感じましたから、特にシーンとピッタリ合う品格のあるものをと強く意識して音楽を付けました。
ところが、小津監督は「この音楽はシーンと合い過ぎて、映画全体のバランスが崩れる。悲しい曲やきれいな曲では場面と相殺になってしまう。」と言いました。
つまり、NGということなのです!

しかし、当時の私はまだ二十代の怖いもの知らずな若者でした。
曲の出来映えに絶対の自信があった私は、天下の小津監督に生意気にも意見をしたのです。
そして、どうしても譲らない私の態度を見て、とうとう小津監督の方が折れたのでした。
当時の様子を、近くでご覧になっていた笠智衆さんは、後日映画音楽のレコード発売の推薦文に次の様なコメントを寄せています。

「斎藤さんはなかなか自説をまげない人で監督の注文でも、納得しなければ絶対ウンと言わない人です。
それでいて、小津先生の作品の色あいからは決してはずれなかったようです。
忘れられない小津先生のあの美しい画面がこれらの曲からなつかしく思い出されるのです。」
(笠智衆談)

音楽がほとんど聞こえません!
私はその曲の出来ばえに自信がありましたから、とてもガッカリしました。
けれども、すっかり落胆した私の様子を見て、小津監督はこう言ってくれたのです。

「ぼくは、登場人物の感情や役者の表現を助けるための音楽を決して希望しないのです。」
また、こういう風にも仰いました。
「いくら、画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、その時、空は青空で陽が燦々と照り輝いていることもあるでしょう。
これと同じで、ぼくの映画のための音楽は、何が起ころうといつもお天気のいい音楽であって欲しいのです。」
こうした言葉によって、私は小津監督の映画音楽観をしっかりと理解できたように思いました。
(斎藤談)

小津安二郎弦楽トリビュートライブコンサート(PDF)

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