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スクリプト公開|松竹映画・弦楽トリビュートコンサート
松竹映画・弦楽トリビュートコンサート…2015年12月16日(水)
演奏:Moment String Quartet
《第一部》小津安二郎×斎藤高順
オープニング映像
小津トリビア①②
1.東京物語(1953)
2.早春(1956)
3.東京暮色(1957)
4.彼岸花(1958)
小津トリビア③④
5.浮草(大映)(1959)
6.秋日和(1960)
7.秋刀魚の味(1962)
8.男はつらいよ(予告編音楽)
休憩(10分間)
《第二部》山田洋次/野村芳太郎×芥川也寸志
1.男はつらいよ(1969-95)
2.幸福の黄色いハンカチ(1977)
3.遥かなる山の呼び声(1980)
4.学校(1993)
5.八つ墓村(1977)
6.砂の器(1974)
7.蒲田行進曲(主題曲)(1982)
原節子16歳当時の貴重な映像
東京物語(夜想曲~エンディング)
エンディング映像
「小津安二郎 DVD-BOX 特典映像」より、原節子と笠智衆が登場する珍しいCM映像
– 小津安二郎と佐野周二の中国戦線からのニュース映像
– 斎藤高順のインタビュー映像
上記を続けてご覧下さい。
斎藤高順 さいとうたかのぶ プロフィール
一九二四年(大正十三年)、東京深川に生まれる。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)卒業後、ラジオドラマの作曲などを行う。二七歳の時、小津安二郎監督に見い出され、『東京物語』から遺作となった『秋刀魚の味』まで七作品の音楽を担当した。ラジオ、映画、テレビなどの音楽を多数手がけた後、四八歳の時に航空自衛隊音楽隊長に転身、五二歳の時には警視庁音楽隊長に着任。その間、「ブルー・インパルス」「輝く銀嶺」「オーバー・ザ・ギャラクシー」などの吹奏楽曲をはじめ、歌曲、ピアノ曲などを数多く作曲した。小津安二郎監督作品の世界的な評価に伴い、斎藤高順の功績にも関心が高まっている。二〇〇四年(平成一六年)、虚血性心不全のため死去。享年七九歳。
【注意】
なお、次の映像は、髪がフサフサしていて(カツラ着用)、顔もむくんでおり、まるで別人のようですが、斎藤高順本人に間違いございません。(笑)斎藤家一同
映像:斎藤高順インタビュー
「小津安二郎 DVD-BOX 特典映像」より
【小津トリビア①】
宴会での小津監督の様子は?
宴会ではスタッフへの気遣いを忘れず、若手の聞き役に徹し、盛り上げ役として道化役も厭わず演じていました。スタッフや俳優を引き連れて飲み歩く際、お勘定は全て小津監督の自腹でした。当時の事を斎藤高順は次のように語っています。
斎藤高順の証言
「小津監督の印象については、怖い人だと言う人もおりましたが、私には優しい人としか思われませんでした。仕事場ではとても厳しい方でしたが、少しも辛いと思う事はありませんでしたし、普段もよく飲みに行こうと誘われました。撮影はだいたい夕方5時頃には終わり、その後は決まって横浜あたりに出て一緒にお酒を御馳走になりました。いろいろな雑談を重ねていくうちに、お互いの気心も知れるようになり、時には私も浅い経験から割り出した幼稚な意見などを吐くようになりましたが、小津監督はそれらを一つ一つやさしく聞き入れて下さいました。」
横浜での飲み会によく利用した店とは?
小津監督が残した「グルメ手帖」には出てきませんが、監督の日記より、次の2店のことではないかと思います。
安楽園(北京料理)
「安楽園」は、2011年(平成23年)5月、120年の歴史に幕を下ろした横浜中華街の老舗。小津監督の日記に度々登場し、特にシュウマイがおすすめとのことです。
太田なわのれん(牛鍋)
「太田なわのれん」は、日ノ出町駅近くに明治元年(1868年)に初代・高橋音吉が鉄なべ使用の牛鍋で創業し、現在まで150年近くも引き継がれている名店。味噌ベースで食べる歴史的な牛鍋だそうです。
【小津トリビア②】
宴会で小津監督は酔いが回ってくると、よく口ずさんだ歌がありました。 『お茶漬けの味』で笠智衆も歌っていた「戦友の遺骨を抱いて」と、同じく『お茶漬けの味』に出演した鶴田浩二の歌でも有名な「湯島の白梅」がお得意の一曲でした。
戦友の遺骨を抱いて 唄:東海林太郎
湯島の白梅 唄:鶴田浩二
原節子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます
2015年9月5日土曜日、日本映画の黄金時代を彩った伝説の女優原節子さん(本名・會田昌江)が逝去されました。1963年12月、小津安二郎監督の通夜に姿を現したのを最後に、表舞台から姿を消して52年、わずかな近親者のみに見送られた静かな葬儀だったそうです。
BGM:「夜想曲」~原節子のテーマ~ ピアノ演奏:斎藤高順
『新しき土』は、1937年公開の日独合作映画です。デビュー間もない16歳の原節子が主役を演じています。新しき土とは満州のことを指しており、日本の満州進出を喧伝するものになっています。この映画の製作背景には、第二次世界大戦を間近に控えた日本とナチス・ドイツの政治的・軍事的接近の目論見がありました。この作品で、原節子は一躍スターダムへと駆け上りました。16歳の原は、可憐な大和撫子の役を見事に演じきったのです。
映像:原節子16歳当時の貴重な映像
『新しき土』(日独合作映画)
『秋刀魚の味』のエンディング・シーンが、小津映画そのもののエンディング・シーンとなりました。娘を嫁に出した後、わびしさを全身で表現するシーン、ここで小津作品に最も多く出演した笠智衆による名演技のバックに斎藤高順の音楽が流れます。この印象的な名シーンを最後に、小津芸術は幕を下ろしたのです。
映像:笠智衆の名演技と斎藤高順の音楽によるエンディング・シーン
『秋刀魚の味』(松竹株式会社)