リーディングドラマ「ファゴットマン・ストーリー」

終戦後間もない昭和20年10月頃、吉澤博は松竹少女歌劇団から松竹大船撮影所の音楽部へと移動になりました。それから約40年に亘り、3000本以上の映画音楽の録音に指揮者として携わり、日本映画音楽の父と呼ばれました。

そんな偉大な音楽家吉澤博の孫吉澤博寿は私のはとこであり、ファゴット奏者として高齢者施設で演奏活動を続けています。この度、私と吉澤博寿は初のコラボ企画として、高齢者施設向けのイベント活動を開始しました。

そこで、ライブ案件としてリーディングドラマ「ファゴットマン・ストーリー」を考えました。吉澤博寿をモデルにしたファゴットマンの物語です。我ながら良く出来たストーリーだなあ…と勝手に自画自賛しておりましたが、高齢者施設向けにはどうなのか?という疑問の声もあり、一旦お蔵入りとなりました。

お蔵入り(没)にするには惜しいので、以下にストーリーを記載することにします。自分では結構気に入っているのですが、いやいやボツでしょう!というご意見もあるようです。もしご興味があったらご一読ください(苦笑)。



BGM(静かなジャズ) What Kind Of Fool Am I / Bill Evans

俺はしがないバンドマンだ。
町から町へ、今日も演奏の旅は続く。

寂れた港町へやってきた。
海から吹きよせる風は冷たく、心まで凍りつきそうだ。

今夜の演奏は散々だった。
俺は打ちひしがれた心を癒すため、酒場を探した。

しばらく歩くと、裏通りの片隅にある一軒のバーに目が止まった。
ファゴットバー…?。

奇妙な名前だが、ちょっと気になったので、立ち寄ってみることにした。
木製の古びた扉を押して、店の中へと進む。

薄暗い店内には、静かな音量で古いジャズが流れていた。
カウンターに木製の椅子が5脚だけ、横に細長い造りの小さな店だ。

カウンターの奥に初老のマスターが一人、他に客は誰もいなかった。
俺は楽器の入ったケースを足元に置き、コートを脱いで右端の椅子へ腰かけた。

マスターは無言だった。
俺は、「ジャックダニエルをロックで」と注文した。

やはり、マスターは無言のまま、手際よく氷の入ったグラスを用意し、目の前でバーボンを注いだ。
俺は、バーボンの芳醇な香りを楽しんでから、一気にグラスを飲み干した。

喉がヒリヒリし、胃の辺りが熱くなった。
少しだけ気分が落ち着いた俺は、今夜の演奏を振り返った。

ああ、もう無理だな、今夜限りでバンドマンは店じまいだ…。
だが、なぜ俺はこの楽器を選んだのだろうか?

華やかさもなく、目立った楽器でもないのに…。
でも、俺はこの楽器の音色が好きだった。
他の楽器には感じられなかった温もりと愛着を、不思議とこの楽器にだけは感じたのだ。

バーボンのお代わりを注文するついでに、俺は思い切って尋ねてみた。
「ねえマスター、この店の名前、ちょっと変わってるね。」

マスターは初めて口を開いた。
「ファゴットバーっていう名前のことかい?」

「ああ、そうさ。マスターはファゴットという楽器と何か縁でもあるのかな?」
「聞きたいかい?」

「もし、差し支えないなら是非。」
「差し支えはないさ。でも、ちょっと長くなるけど、構わないかい?」

「もちろんだとも、今夜は特に用も無いんでね。」
「そうかい。じゃ、話すとするか。」

俺は2杯目のバーボンを口に含み、マスターの話を待った。
古いジャズをBGMに、マスターの話は始まった。

「私は、この港町で生まれ育った。
父は漁師だったが、私が幼いころに海の事故で死んだんだ。

BGM(静かなジャズ) What Kind Of Fool Am I / Bill Evans…フェイドアウト

残された母と私は、それは貧しい暮らしを送るはめになったわけだ。
貧乏な私は、学校でよくいじめられた。

いじめられて、泣きながら家へ帰る日々だったが、ある日、いつも帰りに通る空き地で不思議な男を見かけたんだ。
男は見たことのない楽器を抱えており、私は興味を感じたので、その男の様子を物陰から窺っていた。

男は楽器を吹き始めた。
不思議な音色だった。
優しく暖かく、時に力強かった。

(ファゴット生演奏)

私は学校の帰りに、毎日物陰からその音色に耳をすますようになった。
すると、不思議なことに私の内面に勇気と希望が湧き上がってきたんだ。

ある日、私は学校でいじめっ子たちに向かって、初めて堂々と抗議した。
面を食らったいじめっ子たちは、その時からいじめをしなくなったんだ。

私はすっかり嬉しくなって、その日の帰り道、お礼を言いたくて空き地を訪れたが、その不思議な男の姿はもうなかった。
あの楽器は一体何だったんだろうと思い、学校の図書館で調べてみると、それはファゴットという楽器であることが分かった。

それから年月が過ぎ、私が成人する頃、この国は戦争に巻き込まれた。
私は南方の島へ派遣され、そこで敵と戦わなければならなかった。

効果音(戦地の爆音、銃撃音)

敵は我々よりも人数が多く、武器も強力だったため、私の部隊はほとんど全滅してしまい、わずかに残った自分たちの命もいよいよ尽きようとしていた。
ジャングルに身を潜めていた我々は、とうとう敵に見つかってしまい、周りをすっかり包囲されてしまった。

万事休す、もう死を覚悟した時だった。
あの男が現れたのだ。

男はファゴットを手にし、音楽を奏ではじめた。
銃を構えていた敵は、呆気に取られていたが、誰一人発砲することもなく、その音色に耳を傾けたのだった。

(ファゴット生演奏)

その音色は、美しく哀しく、心を打つものだった。
敵たちは銃を下ろし、音色に聞き入り、中には涙を流す者さえいた。
演奏が終わると、敵たちは押し黙ったまま、元来た方へと引き上げて行った。

我々は信じられない気持ちで、その男の元へ駆け寄ろうとしたが、もうそこには誰の姿もなかった。
その後、我々は味方に救出され、無事に母国へ帰ることができたんだ。

戦争が終わって、私は母と二人でこの町で暮らすため、死んだ父と同じ漁師になった。
きびしい漁師の仕事にも、ようやく慣れてきた頃だった。

私は母にもっと楽をさせてやりたくて、金の稼げる遠洋漁業へ出掛けることにした。
沖へ出てから10日ほどたった頃、天候が急に悪化し、海は大荒れになった。
ものすごい大雨と防風、それに高波で船は水浸しになった。

効果音(台風の音)

船員たちは、何とか水を船の外へ出そうと必死に頑張ったが、水かさは増すばかりだった。
その時だ、船にもの凄い衝撃が走ったのだ。

効果音(激突音)

何かに激突したらしく、激しい衝突音と揺れが船員たちを襲った。
船は大きく傾き、海へ転落する船員が何人も出た。

効果音(暴風の音)

私は何とか海へ落ちた仲間たちを助けようとしたが、荒波の中へ放り出された船員たちの姿は、あっという間に見えなくなった。
激しい衝撃の原因は、船が岩礁に激突したためだった。

船の底に大きな亀裂が生じ、海水がどんどん船内に流れ込んできた。
大雨と防風が吹き荒れる中、無残にも船は沈み始めた。

私たちは、大急ぎで救命ボートを荒波の中へ放り投げ、我先にとボートへ乗り込んだ。
だが、何とか生き延びようと必死な船員たちが、一度にボートへ殺到したために、救命ボートはひっくり返ってしまった。

無我夢中でボートの向きを立て直したが、多くの船員たちは真っ暗な海中へと消えて行った。
近くでは、船が大きな音を立てて、荒波の中へと沈んでいった。

私は奇跡的に救命ボートへ残ることができた。
信じられないことだが、私だけがたった一人、辛うじて生き延びることができたのだった。

効果音(静かな波音)

やがて、雨と風は収まり、波も静かになった。
だが、容赦なく照りつける太陽と、喉の渇き、空腹が私を苦しめた。

わずかに残っていた雨水だけが頼りだったが、それもやがて底をついた。
またもや、私は死を覚悟せざるを得なくなった。

見渡す限りの大海原、私は絶望し、死はもう目前に迫っていた。
その時だ。あの音色が聞こえてきたんだ。

(ファゴット生演奏)

暖かく、優しいあの音色。
一体どこから聞こえてくるんだ。
あの男は、どこであの楽器を吹いているんだ。
四方八方を海に囲まれ、見回してもあの男の姿は見えない。

でも、確かに私にはあの音色が聞こえたんだ。
これは幻聴ではない、確かにあのファゴットの男…。
そう、ファゴットマンの音色に間違いなかった。
私はその音色に励まされ、どうにか生き延びることができた。

効果音(大型船の汽笛)

間もなく、私は遠洋漁業の船に救助された。
船が沈没してから2週間後のことだった。

私は3回もあのファゴットの男に助けられたのだ。
いつか、あの男に会って礼が言いたい。
私はそれだけを考えて、今日まで生きてきた。

母が死んだあと、私は漁師を辞め、ここでバーを営んでいるというわけさ。
話はここまでだ。」

「なるほど、それでマスターは店の名前を、ファゴットバーにしたということか。」
「いつか、あの男が店に現れるんじゃないか…という期待をこめてね。」

「それで、そのファゴットマンとやらは現れたのかい?」
「いや、残念ながら現れなかった。だが、今日私の願いは叶ったのかも知れない。
その楽器ケース、ファゴットだね。見てすぐに分かったよ。」

「ああ、そうとも。だが、俺はファゴットマンじゃないぜ。
俺は、今日限りでバンドマンを辞めることにしたんだ。
俺には才能がない。もうファゴット奏者は辞めようと決心したところだ。」

「そうだったのか。だが、ちょっと考え直してみないか。
実は今夜の演奏、私も聴いたんだ。」
「そうか、それはお気の毒だったな…。」

「いや、あんたは自分の腕前を過小評価しているようだな。
今夜の演奏は、私の心を打った。
ファゴットマンの音色を思い出したよ。
涙を流して聴いている客がいたことを、あんたは気付かなかったのか?
あんたの音色には、優しさと暖かさ、時に力強さもあった。
そうさ、ファゴットマンと同じ、人の心を打つ音色だったよ。」

「まさか、俺のファゴットが…?」
「その通りさ。だから、辞めるなんて言わないで、多くの悲しみを抱えた人たちのために、これからも演奏してくれないか。」

「有難う、マスター、感謝するよ。
少し疲れたから、今夜はもう失礼するよ。」

そう言って、俺はファゴットバーを後にした。
夜のひんやりとした空気が、酔った身体に心地良かった。

少し歩いていると、どこからともなく耳慣れた音色が聴こえてきた。
この音色は、ファゴットだ。

(ファゴット生演奏)

BGM(静かなジャズ) What Kind Of Fool Am I / Bill Evans…フェイドイン

やがて、路地裏にある小さな広場で一人の男の姿が目に入った。
男が手にしているのは、ファゴットだった。

まさか、ファゴットマン…。
ファゴットマンの吹く音色は、美しく優しく、時に力強かった。

その音色を聞いて、俺の心は動かされた。
俺もファゴットマンのようなファゴット奏者になりたい、と強く心に思ったんだ。
そして、勇気と自信が湧き上がるのを感じた。

よし、明日からもう一度ファゴット奏者として、一から出直しだ。
そう固く決心して、月明かりの中、俺は家路へと向かったのだった。

有難う、ファゴットマン。
そう呟いた俺は、小さな広場を振り返った。

だが、そこには誰の姿もなかった。
海から吹きよせる風の音だけが、耳にこだました…。

BGM(静かなジャズ) 盛り上がってエンディング

終わり

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